変える技術、考える技術

「枕を濡らしながら」割愛した章を公開(-1章)(僕のベストセラー戦略⑪)

第“-1”章 「変える技術、考える技術」はどこから生まれたのか?

ビジネス書の基本は「256ページ」なのに、私は勢い余って、「400ページ」も書いてしまいました。
そうしたら、編集者の金山さんに、ほんとさっくり言われました。

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「後ろの3章」は削りましょう。

その3章を順繰り、載せていこうと思います。

まずは、「-1章」と称して。

256ページには、極力「技術」を入れ込みたかったので、「どう、僕が“発見”したか?」という、崇高なる論点は割愛になってしまいました。

では、いきます。


ここまで、読んでくださいまして、ありがとうございます。

最初から最後まで読み切った本は年間何冊あるだろうか?と思うと、非常に嬉しい気持ちになります。そして、最後まで読んでくださったのであれば、きっと「僕との距離」も知らず知らずに縮まったと思います。 ということで、僕自身というか、本の「出自」を述べて、この本を締めたいと思います。

“-1”-1「BCG」の洗礼と、一つの解

正直なところ、2005年4月に「BCG」というコンサルティングファームに入ったのだが、ココまで、これほどまでに、苦労するとは夢にも思わなかった。

なにせ、 「弟が新卒でマッキンゼーの内定を貰った」という報告を東新宿の焼肉屋さんで受けて、「え?まじ、給料、越されちゃうの?」と思い、その場を繕うために「俺もじゃぁ、行く!」と言ったのが、きっかけだからね。

「きっかけ」と言えば、弟が「筋の良い仮説を生む 問題解決の「地図」と「武器」」という本を出してから、俺もいつか出そう!と思っていたことを考えると、弟は僕のある意味「スウィッチ」になってますな。ありがたや、ありがたや。

で、話しを戻すと、そんな流れで、あれよあれよと、2005年3月31日にNTTデータを辞めて、4月1日入社した。

今でも覚えているが、22階の席につき、設定が終わったPCでメールを見た時に最初に飛び込んできたのが、

「山本N、とうとう結婚!」

という、エープリルフールのメールだった。

その瞬間、思った「まじ、最高じゃん。この会社!ほぼ全社メールにこのメール流す!なんて、ユーモア、ファンタスティックすぎるだろ」と興奮した。

そのメールを送った先輩、“むときん”は今でも、仲良しだ。

スーツもBATAKで、真似させてもらったし、いつもなにか「兄弟?」と言われることもあった。とマジで、NTTデータとは異なる世界観に、酔いしれた。

と思ったら、最初のプロジェクトで、ハンターハンターの天空競技場の「洗礼」が、僕にも待っていた。

最初の社内ミーティングで、先輩に言われてプレゼンしたら「お前に、そんなこと期待していない」と言われて、10秒で終わった。
(=まさに、プロフェッショナル。好きです、杉田さん)

シミュレーションのエクセルを作っていて、深夜4時に先輩から「何これ?」と言われて、そこから、20時間の作業を無駄にしてしまった。
(=あの時はほんと、作り直していただいた、迷惑かけました。緒方さん)

今では、10年後の時を超え、コンサルティングも「近代化」され、ハードワークというよりは、知的生産活動の色が濃くなっている。
が、僕が入った時は、完全に良い意味で、鍛えてもらった。

そして、半年が過ぎ、偶然、同期の高部さんと同じプロジェクトをし、そのプロジェクトのMDから「同期の高部があんだけ活躍しているのに、お前はなんだ」とクラブで言われて、一人落ち込んだのを覚えている。

そして、そのあと、僕にこういう声が届いた。

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採用ミスじゃね?誰がタカマツを採用した?

至極全うなご意見が。まさに、「洗礼」だった。

もちろん、僕に才能とセンスがあれば、こうはならなかったし、今でも仲良しの高部っちは、最速最強で(僕からは苦労なく)昇進していったからね。

しかしだ、そのあと、BCGの凄いところなのか、僕とケースをご一緒してくれたMD/マネージャーがスゴイのか、僕はちゃんと「育った」
あんだけ、「採用ミス」と言われても、ちゃんと、天下のBCGのプロジェクトリーダーまで、健やかに昇進したし、なにより、今でも、BCGもだが、コンサルが好きだからね。 

もう「SO-WHAT」を知った皆さんは、僕が言いたいことが分かるだろう?

そうなんです、「コンサル思考」というか、「働き方」だけでなく、「考える力」でさえも、後天的に身に付けられる「スキル」なのだ。
これは人生でも数少ない確信していることだ。だから、僕はその後「考えるエンジン講座」 いう、考える力を伝授する会社を起業し、いまでも、年数百人教えている。

「BCG」の洗礼と、一つの解=「考える力さえも、スキル」

えー、あとBCGで学んだこと?東大生がツマラナイってことかな。


“-1”-2「ウイニング受験英語」の衝突と、一つの解

僕が「教育」に身を置いているのも、「先生」となり、考えるエンジン講座を通して、「教える」ことを生業にしているのは、加藤昭先生の出会いが大きく影響していることは間違いない。

ご存知と思うが説明すると、高田馬場にある、大学受験の英語塾「ウイニング受験英語」の、代表であられるのが、加藤昭先生だ。

高校時代に3年間通い、大学を合格させてもらい、その後、大学4年間、「チューター」として、加藤先生の元で働かせてもらった。

加藤先生の教えを僕ごときが纏めるのも恐縮だが、正直、英語以上に、「人生の作り方」を学ばせてもらった。そして、チューターも優秀な奴が多かった。

学年1年の差をもろともせず、塾を制している後輩「うのっち」に、同期には、ウルトラ賢い天才「茂」、ほかにも、イケメンやら、カラダの大きい優しい男まで、沢山いたから、「どうしたら、この中で価値を出せるか?」と、生存競争を本気で考えさせられた。なので、僕は、次の日、金髪にし、それ以降ずっと、短パンにしたほどだ。

色んなことを学んだどころか、全て学んだのだが、その当時、意識していたのは、加藤先生の「カリスマ性」だ。圧倒的だった。まぁ、惹きつけられた。それも、社会も分かりもしないポンコツの高校生や大学生からだ。きっと、話しも通じないレベルに失礼だった僕らを惹きつける。
だから、ずっと、4年間ずっと意識して論点は、これ。

「カリスマ性は後天的か?」

だから、その目線で、「どういう振る舞い、発言が、ヒトを惹きつけるのか?」を、学ぼうとしていた。時には、偉大なる先生に喧嘩も仕掛けみたりしながら、学ばせてもらった。

「ウイニング受験英語」の衝突と、一つの解=「何事もスキル化する精神」

えー、あとは「ウイニング受験英語」で学んだこと?英語以外の全てかな。


“-1”-3「世田谷学園」の階級と、一つの解

姉貴も弟も四谷大塚の「正会員」(=まぁ、優秀なクラス)だったのに、僕だけ、「準会員」(=まぁ、優秀じゃないクラス)だった。ことから分かるようにポンコツだった。

いまでも、小6の受験勉強をしている時「なんで、歴史を覚えなければいけないのか?」も理解できないほど、成熟してなかった。

僕らが中学受験をした年は、当日、雪に地震にと大荒れだった。

そんな中、2月1日大二中。暖房が横にあり、めっちゃぽかぽかしたことと、必死に前の人の答案見えないかな?と思ったことだけ覚えている。当然、落ちた。

2日は城北。行きたかったが、落ちた。3日は世田谷学園。もちろん、僕は世田谷学園なので、受かったと思いきや、ココも落ちた。合格発表で落ちたことが分かった帰り道、隣に住んでいた「飯島くん」とすれ違い、落ちた姿を見られて、恥ずかしく、号泣したのだけ覚えている。そして、5日に、再度、世田谷学園の2次募集を受けた。当日の朝「もう落ちたくない、、とウジウジしていたら、」父から「だったら、受けんなや!」って叱られたのだけ覚えている。

したら、何故か受かっていた。たぶん、後から考えるに、「1次も受けていて、2次も受けている」ってことは?必ず、合格したら来る!ってことだろうから、その枠で受かったんじゃないかなと思う。だって、出来なかったからね。

でね、入る前に実力試験をし、入学当日、自分のクラスが発表され、「B」クラスだった。
「B」って聞くと、上から2番目のクラスと思いきや、一番下のクラスだったのだ。
AとBが一番下。Eが一番、アタマがいいクラスだった。

今ではあり得ないかもしれないが、学力でクラスを分けるという、刺激的な、というか、SAPIX的な学校だったのだ。

痛烈な原体験になっている。学校側はそんな気はなかったと思うけど、どこか「差別」されている気がして、屈辱的な体験でもあった。 なんだか、E組が優遇されている気がしたからね。

「世田谷学園」の階級と、一つの解=「社会とは何か?」

としちゃうと、難しい話になってしまうので、更に言うと、圧倒的に同い年で、こんなに違うの?頭の良さも、扱いもと。

だからこそ、この圧倒的な「遺伝子」というか、「センス」という差を覆すにはどうすればいいか?ってことで、僕は、ほんと、毎日勉強していた。それこそ、毎日。 姉貴からよく言われた「期末試験が終わった次の日から、中間試験の勉強しているよね、さとしは。」と。3年間でB→C→D→Eとクラス替え毎に上がることが奇跡的にできて、その上がれたこと自体よりも大きな学びを得た。

「世田谷学園」の階級と、一つの解=「地味に地道にコツコツと、勝つコツ、コツコツ」

えー、あとは「世田谷学園」で学んだこと? 体育で「柔道」って、きつくね?


“-1”-4「NTTデータ」の哀愁と、一つの解

偉大なる会社だったが、正直、思い出すのは、このことだ。

僕がNTTデータで最後の日、2005年3月31日に、新富町のオフィスで、退職の挨拶をする時を迎えた。

その時、僕の課の人は、誰もいなかった。厳密に言えば、僕が退職することを忘れていて、僕から別の階にいる「カゲヤマ課長代理」に電話をし、来ただけ。

その時の「悔しさ」は忘れない。そうそう、まさにこれだよね「ロナウジーニョには起きない」ロナウジーニョ思考だよね。 その時僕は痛烈に思ったんだよね。僕はこの3年間、この会社で、この部署で何も残せていなかったから、こうなんだ。誰も退職をお祝いというか、集まってもくれないと。

「NTTデータ」の哀愁と、一つの解=拗ねてはいけない。解釈、捉え方

えー、あとは「NTTデータ」で学んだこと? 何もねーわ!(いじけ)


“-1”-5「考えるエンジン講座」の感動と、一つの解

「考えるエンジン講座」を通して、「行動が変わった」という体験をさせてもらっているのはありがたい話だ。
BCGに9月入社した女性が1回目の講義を受けた後、こういうメッセージをくれた。当然、画像にして、保存してあるが、内容はこうだ。

とある火曜日、翌日のインタビュー向けの質問ガイドを頼まれる(ほぼ丸投げ)

数日前の日曜日に考えるエンジンの初回を受講

その考えをもとにインタビューガイドを作成

マネージャーに提出したところ、「早かったね~早速確認す…!?!?!???? これ自分で書いた!?すごい!!!何があった!?!??」とのご反応をGET

そこから、社内ミーティングでのちょっとした発言も、「鋭い!」「いいね!」と褒められるように。上司は私に何が起こったのか、さぞ不思議そうでした。

最後のFB面談では、後半での伸びが著しかったとの評価をGETし、「ぜひケースをもう一回一緒にしたい」という、最大限の誉め言葉をGETいたしました。
“論点”は、コンサルタントのワークのすべてに共通して必要なものであることを実感しましたし、業務がとびっきり楽しくなりました。

とこれだよね。「行動は変わる」ということを教えてくれるよね。
たった1時間の講義でも、変われるのだからね。最高ですよね。
こういう時、BCGで学んだ一つの素敵な考え方がある。

それは、「両方の手柄」とする。

例えば、日本と韓国で100億円のプロジェクトが売れた場合、普通だったら、貢献に応じて、70億と30億とか分配そうでしょ?
でもしない、両方、100億円とカウントしちゃうのだ。

そのほうが、ハッピーだし、次につながる。

誰かに相談し、良い資料ができたとしてて、同じだ。相談した人の手柄になりそうだが、そうはならない。聞いた方の手柄になり、聞かれた相談された人にも手柄になる。 どっちかというと、この場合は、聞いた方に重心のある、手柄にはなるほどだ。
普通と、逆でしょ?

だから、今紹介した、「行動が変化した」生徒に対して、いつもこう説明する。

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君が優秀だったから100%だし、俺の教え方が良かったから100%だね、この成果はね。

これが、成長を加速化するよね。

「考えるエンジン講座」の感動と、一つの解=「行動は変わるよ」

えー、あとは「考えるエンジン講座」で学んだこと? うーん、「教えるのを辞めたら」話すね。


以上が、「“-1章”」です。文字数にすると、5千字がバイバイされたのでした。

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